【前編】
── まずはデヴィッド・Tとの出会いについてお聞かせいただけますか?
続木徹さん(以下、続木):80年代の中頃から「チキンシャック」ってバンドを山岸(=山岸潤史)とやってたんですが、ある頃からレコーディングやミックスダウンを一部外国でやるようになったんです。最初はバハマでやったんですけど、毎回バハマっていうのも遠いし、もう少し近いところでロサンゼルスでやろうと。いいエンジニアも多いし、アディショナルレコーディングとミックスダウンとマスタリング、ほかにもオーバーダブとかも結構良いスタジオでやってたんです。
── あの頃は、海外録音って結構ありましたよね。
続木:ロスに行くと一ヶ月くらい滞在するんですけど、作業が一通り終わってみんなが日本に帰っちゃったあと少し延長してニューオーリンズに行ってみたりしてましたね。今はニューオーリンズに住んでる山岸も、その頃はまだそんなに多くはニューオーリンズには行ってなくて、むしろ僕のほうが多く行ってたんです。
── そうだったんですか。
続木:海外では山岸と二人でいることも多くて、日本にいるとき以上にいろいろ話す機会も多かったんですね。で、あるときホテルの山岸の部屋で二人で話をしてたら、いつかギタリストが二人いるバンドをやってみたいって言い出したことがあったんです。で、そういうバンドをやるんだったらデヴィッド・Tとやってみたいんだって。
── その構想がのちのバンド・オブ・プレジャーに繋がるんですね。
続木:当時、ギャドソン(=ジェイムズ・ギャドソン:ドラマー)やデヴィッド・Tと繋がりが持てそうなコネクションが結構あったんですよ。それを辿っていったらそんな話ができるかもしれない、いつか実現できたらなって気持ちが募っていったとは思います。
── でもまだその時点ではデヴィッド・Tとは接点は無かったんですね。
続木:そうなんです。そうしてるときに、当時チキンシャックが所属していたレコード会社は「メルダック」だったんですけど、その親会社の三菱電機がスポンサーとなって『Mama, I Want To Sing』というミュージカルの一座を呼ぶことになって、日本公演の配役メンバーでアルバムを作ることになったんです。で、チキンシャックのレコーディングディレクターがそのアルバムのディレクターをやることになって、当時チキンシャックのベーシストだったボビー・ワトソンがミュージックプロデューサーを務めることになって。スポンサーの三菱電機から結構な制作費が出てるってこともあって、ボビーのコネクションでロスのミュージシャンに声をかけた豪華なレコーディングだったんですね。
── デヴィッド・Tもサントラに参加した1988年のミュージカルですね。
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『Mama, I Want To Sing』(1988)
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山岸潤史
『My Pleasure』(1988)
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続木:このミュージカルはゴスペルミュージカルでした。ゴスペルを内側から経験して勉強できるいい機会だって思って、僕は演奏には参加しなかったんですけど、ディレクターに頼んでレコーディングに同行させてもらうことにしたんです。仕事として行ったわけではなかったんですけど、チキンシャックつながりでボビーとはチームワークがあったので、自然な成り行きで採譜や譜面作りやアレンジワークをボビーにアドバイスしたり、できることをいろいろと手伝ったんです。
── このアルバムには続木さんは「スペシャルサンクス」ってクレジットされてますね。
続木:きっとボビーやディレクターがそうしてくれたんだと思います。僕はレコーディングにずっと同席して、たぶんそのときにデヴィッドに会ったはずで、それが最初の出会いなんですが、デヴィッドのギターパートの録音もそれほど時間をかけなかったこともあって、実はあまり記憶に残ってないんです。で、そのあと、山岸が『My Pleasure』ってソロアルバムをつくるんですけど、そのときにワンポイントでデヴィッドに参加してもらうことになるんです。
── その『My Pleasure』には続木さんも参加されてますよね。
続木:たぶんそれがきっかけで本格的にデヴィッドともギャドソンとも繋がって一つのバンドとしてやって行きたいって考えたんじゃないかなって思います。
── ちょうどその頃って、その山岸さんのソロアルバムの時期とチキンシャックでの活動と、初期のバンド・オブ・プレジャー構想ってのが微妙に重なってますよね。
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Band Of Pleasure
『Live At Kirin Plaza』(1992)
ライヴ盤仕様となった1stアルバム。
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Band Of Pleasure
『Band Of Pleasure』(1994)
初のスタジオ録音盤となった2ndアルバム。
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続木:当時はいろんなことがトントン拍子に決まっていったような印象があって、時系列とか場所とか、実は頭の中がぐちゃぐちゃになってるんですよ。山岸のアルバムレコーディングだったか、チキンシャックのときだったか、あるいはバンプレ(=バンド・オブ・プレジャーの略称)のときだったか。ギャドソンがあんなふうに叩いていたなあとか、マイクの立て方を結構細かくやってたなあとか、断片的にはいろんな風景を思い出すんですけどね。
── バンプレの構想は山岸さんの発案が大きかったと思うんですけど、当初から続木さんもメンバーとして候補だったんですか。
続木:そうですね、山岸からその話を聞かされたときのことは覚えてます。「トオルちゃん、いっしょにやらへんか? あのデヴィッド・Tとやで」って。「そりゃもちろん!」って二つ返事でした(笑)。
── で、ギャドソンと清水興さんが加わってバンプレの一枚目がリリースされると。
続木:バンプレの一枚目『Live At KIRIN PLAZA』はライヴ盤ですけど、その後スタジオレコーディングをやろうってことで、わりとすぐにレコード会社とも話がまとまったんです。2作目を続けて出すってことになると、じゃあライヴもやろうってことに繋がっていったので、やはりアルバムを出すっていうのはいろんな意味でとても大きかったですね。
── バンプレでの活動中はデヴィッド・Tとも多く接したと思いますが、続木さんは彼にどういう印象を持たれてるんでしょうか?
続木:そうですねー、デヴィッドって見た目も振る舞いもジェントルマンですよね。で、バンドマン的な空気を出さない人でもあるという。
── バンドマン的空気?
続木:スタジオでのセッションマンとしてや、いろんなアーティストのツアーメンバーとか、それはもう挙げたらキリがないくらいのことをやってる人ですけど、バンドマンの匂いっていうのかなあ、そういうのがないんですよね。
── なるほど。
続木:バンド・オブ・プレジャーって一つのバンドではあるし、バンドとして一つのバスに乗ってガタゴト揺れながら進んでる感じがあって、なんていうか、珍道中を繰り広げている感じがあるんですよ。同じ部屋の住民のようなね。
── 珍道中(笑)。
続木:ところがデヴィッドって、そういう空気を自ら発しないし、そういう空気に染まらないっていうのかな。そんな雰囲気の人なんですよ。
── なんとなくわかる気がします。
続木:向こうから歩いてきたら「あ、あいつバンドマンだな」ってわかる特有の空気を発してる人っているでしょ? 日本人でもそうだし、アメリカ人でもそういうバンドマン然としたノリや空気っていうのがあるんですよ。で、デヴィッドにはそういう空気がほとんど無いんですね。一人の紳士として、ジェントルマンとしていたいっていう感じというか。きっと意識的にそうやってきたんじゃないかと思うんですけどね。
── なるほど。
続木:ツアーでホテルに宿泊するときでも、僕らは近い部屋をとって夜中に「なにしとんねん? ちょっと呑まへんか?」みたいな感じで部屋を行ったり来たりするんだけど、デヴィッドは一人静かにいるっていう。どこか一線をひいてるというか、そういう雰囲気を持ってる人です。もちろん特別扱いをしてるとか、違うタイプの人間なんだっていうことを主張しているんでは決してなくて、いっしょにはしゃいだり、お茶目なところもあるんだけど、なんというか、自然とそういう雰囲気を醸し出してるっていうのかなあ。独特の距離感と間合いを持ってる人なんですよね。それは彼がジェントルマンだってことなんですよ。
── 確かにジェントルマンですよね。いつもスーツをビシッと着こなしてますし。
続木:そうそう、あのスーツなんだけど、デヴィッドってホントにいつもスーツ着てるでしょ。僕も山岸もシミやん(=清水興)もずっとそれが不思議だったんですよ。たとえばライヴの日だと、みんな短パンとかジャージとかでとりあえず会場入りして、本番前にステージ衣装に着替える。でもデヴィッドはリハの段階からスーツでやってくるんです。しかも本番前に本番用のスーツに着替えるっていう(笑)。リハのときに着てるスーツでも十分バリッとしてるんで、そのままでもいいんじゃない?って思うんですけどね(笑)。
── そのくらい日常的にスーツだと。
続木:どこにいっても常にスーツ。移動するときもスーツ。デヴィッドはホントにスーツが好きなんだなあってみんなで話すわけですよ。山岸なんか冗談で「ありゃあ、きっと寝間着もスーツやで」って(笑)。どうしてスーツなのかギャドソンに聞いても知らないっていうし、ミステリーだって(笑)。それがずっと不思議だったんで、意を決して聞いてみたんですよ本人に。スーツ好きなんですね?って。
── ほおほお、なるほど。
続木:そしたら「スーツは好きだ」って言うんです。そして「トオル、じゃあ一つ話をしよう」って彼は話をしはじめたんですよ。
── どんな話だったんですか?
続木:デヴィッドがまだ駆け出しで若かった頃、クラブでバンド演奏やってたときの話です。そのクラブの裏口を出ると路地があって、向かい側にジャズクラブの裏口があったと。路地を挟んで両側にクラブの裏口が並んでるっていう状態ですね。右には自分が出てるクラブがあり、左には別のジャズクラブがある。で、そのジャズクラブに知り合いがいたから、演奏してない休憩時間に裏口からちょっと入れてもらってステージ袖からジャズの演奏を見せてもらってたらしいんです。
── ふむふむ。
続木:そしたらある日、ジョン・コルトレーンのバンドがそのジャズクラブで演奏してて、デヴィッドは初めてコルトレーンの演奏を見ることができたと。で、そこでみたコルトレーンがホントに凄かったと。なんて凄いヤツなんだ、なんて凄い音楽なんだって、とても感動したらしいんです。
── なるほどなるほど。
続木:70年代になるとそうでもなかったと思うけど、それより以前はジャズマンはスーツを着て演奏することが多かったですよね。で、音楽の凄さはもちろんだけど、スーツを着てステージに立って演奏しているコルトレーンの姿がホントにカッコよくて素晴らしくて、ずっとそのことがデヴィッドの中にあったらしいんです。まだその頃は自分は駆け出しだったけど、いつかこういうステージに立つことができたら、こんな姿で堂々と、ジェントルマンのようにステージで立ち振る舞いたいって思ったんだよ、って。彼らの音楽をリスペクトしているってことを、自らスーツを着てステージに立つことで身を持って表現していると。
── なるほどそうか、コルトレーンの影響なんですね。
続木:デヴィッドはコルトレーンが好きでね。バンプレのツアーの移動中に、当時はカセットテープでしたけど、デヴィッドはウォークマンを聴いてるんですよ。「何を聴いてるの?」って本人に聞いたら「コルトレーンだ」と。「彼は私のアイドルだ」って言うんです。
── デヴィッドはあまり誰それが好きだって多くを語らないんですけど、確かにコルトレーンは好きだって公言してますね。
続木:コルトレーンの音楽を聴くと、もの凄くインスパイアされる、って言うんです。もちろんデヴィッドとコルトレーンの音楽的なスタイルは全然違うんでしょうけど、おそらくデヴィッドの中で、コルトレーンの音楽を聴いて感じる何かがあって、デヴィッドの音楽とも密接に関係してるところがあるんだと思うんですね。フレージングとか全然違うけれど、でも彼の中で何かピンとくるものがあって、そこから湧き出てくるものがあるんじゃないかと。さっきのスーツの話ではないけど、生で見たコルトレーンの姿や音楽が、彼の原点の一つになっているのかなと思うんです。
── なるほど。
続木:R&Bとかブルース系のミュージシャンって、もっとくだけた感じがあるんだけど、ジャズミュージシャンって少しハイブロウというか大人な感じというか、特に当時はそんな感じがあったと思うんですよね。もちろんジャズマンがすべてジェントルマンかというとそんなことはないんだけど、コルトレーンの演奏を初めて目の当たりにしたときに、彼のなかで何かイメージするものができたんでしょうね。だから、彼が少し距離感があるという雰囲気を受けたり、静かに時間を過ごしたいというふうに感じることも、そんなところからくるのかなって思うんです。
── 単に「こだわり」って一言ではすまされない何かを確かに感じます。
続木:宿泊するホテルも同じところ、空いてれば常に同じ部屋に泊まる。こうと決めたらずっとそれを守りたがるってところも感じますね。彼の中での美学というのかな。自分がコレと思ったことは毎回そうするし、人にも薦めようとする。一つ思い出しましたけど、こんなエピソードがありました。バンプレのリハーサルやってると、いつもだんだん暑くなってくるんです。そうするとさすがのデヴィッドもネクタイをはずすんですけど、そのとき、はずしたネクタイをだらんと降ろすように首に引っ掛けるんですよ。で、あるとき、たまたま僕がネクタイをしてたリハがあって、暑くなってきてネクタイを緩めようとしたらデヴィッドが近づいてきて「トオル、ネクタイはこうやってはずしておくといいんだよ」って、そのネクタイはずしの格好を教えてくれるわけです。「どうだ、この感じがカッコイイと思うんだよ」って言うんです(笑)。まあ、僕にしてみればどうでもよかったんですけど、彼の顔をたてて「そうか、わかったわかった」って返してその日はずっとその格好で過ごしたんですよ。そしたらデヴィッドも「そうそう、その感じその感じ」って、満足げにずっと笑っていて(笑)。
── ニコニコしたデヴィッドの顔が目に浮かびますね(笑)。
続木:ミュージシャンでも二通りのタイプがあると思うんです。一つは、いろんなスタイルをやってみたい、いろんな音楽のアプローチで表現の可能性を試してみたいと思うタイプ。もう一つは、ある一つのスタイルを確立したら、それを磨きに磨いて昇華させていくというタイプ。山岸とか僕は前者で、いろんなことやってみたいと思うタイプなんですよね。山岸なんか特にそうで、ブルース一つとっても、いろんなスタイルのブルースをやれるし、ジャジーなアプローチもできるし、ジミヘンみたいなのもできる。でもデヴィッドの場合はあきらかに後者なんですよ。
── 確かに山岸さんはそんなタイプだなって印象を受けますけど、続木さんもそうなんですか。
続木:そうですね。今はアコースティックピアノでジャズばかりやってるんですけど、昔はいろんなスタイルの音楽をやってました。スタイルの話でいうと、ミュージシャンに出会うと「この人はどういうふうに練習するんだろう」って思うことがあって、それをいろんな人に聞いてみたくなった時期があったんですね。練習のやり方がその人の音楽のスタイルに反映されてるんじゃないか、それを聞いてみるのが有益なんじゃないかって思って。ピアニストだけじゃなく、いろんな楽器のミュージシャンに聞いていたことがあったんです。
── デヴィッドにも聞かれたんですか?
続木:聞きました。そうすると「やみくもにフレーズを弾く練習をしてるわけじゃない」と。ギターの弦に指があたる感じとか、ピックが弦にあたる感じとか、その違いによって出てくる微妙なニュアンスの違いや音の出方を確かめることが練習の9割方だって言うんです。
── いわゆる「タッチ」の重要性ってやつですね。
続木:タッチの違いで音が変わる。それをしっかりと意識するということ。それが自分にとっての「練習」だと。それが練習のほぼ全てだって。
── なるほど。
続木:デヴィッドの魅力って、あの「ニュアンス」だと思うんです。ホントに多彩なニュアンスで、音色もホントに微妙で、いろんなギターの鳴らし方で音が出てきて、ちょっとしたビブラートの感じとか細かいところまで意識されてる。一つのフレーズを瞬間的に奏でる場面でも、いくつものテクスチャーがあって、なんともいえない歌わせかたをするでしょ。そうか、なるほどそういう練習を常にやらないとあんな変幻多彩な色合いはだせないんだなあと。そう思ったとき、彼のギターのスタイルがよくわかった気がしたんですよ。目を開かされたというか。僕のピアノも、指の使い方とか指が鍵盤にどうあたるかとか、どう押し込むかとか、そういうニュアンスや、音の一つ一つを確かめていくようなことをやったほうがいいなあって、とても勉強になりました。
── ニュアンスの魅力。
続木:たぶんそういうことをずっと磨きに磨いて、そしてさらに磨いていった結果、若い頃の演奏より、随分と進化していったんじゃないかと思うんです。もちろんスタイルの方向性は昔と変わってないし、昔のフレージングが今でもでてくるんだけど、その歌わせかたや微妙なニュアンスのコントロールは、おそらくもっと磨かれてるんじゃないかと思うし、進化してると思うんですよね。
── 進化。
続木:ライヴでも、彼が使うフレーズは毎回そんなに変わらないんですよ。次の展開はこういうフレーズが出てくるんじゃないかなって思うと、それがその通りでてくる。そうすると徐々に彼の得意パターンがわかってくる。持ってる決めワザっていうのはある程度の幅の中から繰り出してくるんですね。でも、そのフレーズの微妙なニュアンスは、ホントに磨いて磨き抜いてくるから鮮やかに聴こえるし、毎回違った新鮮さがある。それがホントに見事としか言いようがないんです。
── そういうデヴィッドのプレイを目の当たりにしたとき、続木さんのプレイとも影響し合うんですか?
続木:そうですね。演奏って、最初から盛り上がるわけではなくて、徐々に盛り上がっていくっていう要素がありますよね。で、盛り上がってココがキメどころでしょうっていうところでバシッと磨きに磨かれた音が出てくる。そうなるともう、こっちがどうプレイしてようがプレイしようと思ってようが「待ってました!」って感じですよね。「お願いします!」っていうか(笑)。
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