【前編】
── David Tは以前からよく聴いてたのですか。
タイロン橋本氏(以下タイロン):昔から聴いてましたね。昔のソロアルバムなんかいいよね。頭が爆発してるジャケットあるでしょ?(※3rdアルバム『Plum Happy』)あの頃からずっとだね。あの当時はフィル・アップチャーチやチャック・レイニーなんかもソロアルバム出してたでしょ。ミュージシャンのソロアルバムってのが多く出てた時期でもあったし。彼のプレイはリマーカブルだよね。一発でわかる。昔から変わってない。
── そもそも共演されるきっかけは?
タイロン:94年当時、所属するレコード会社が同じだったんだよね。江戸屋レコード。で、共通の人間を通じて話が進んだんですよ。
── レコーディングはどのような感じだったのでしょうか?
タイロン:全てLAで録音でね。David Tの他にジョー・サンプルもキーボードで参加して4曲セッションの予定で。で、いよいよこの二人とセッションするってときに大地震があってね。いわゆる「ロサンゼルス大地震」ですよ。そのときまだ僕は東京にいて、LAに飛び立つ前だった。で、結局LAまでのフライトが全てキャンセルになってしまって足留めされてしまったんだよね。ちょうどその時、David Tとジョーは既にLAに到着していて。
── その後どうなったのですか?
タイロン:レコーディングは全てセット済みだったし、ジョーのスケジュールの問題もあった。だけど、ジョーを帰してしまうのも申し訳ないので、仕方なくDavid Tとジョーだけでオケをレコーディングし、残りの6曲のセッションの合間にボーカルパートをダビングしようということになって。で、結局ジョーには会えず終い。でも、David Tとジョーそして僕の4曲は無事CDに収録されましたけどね。せっかくの共演の機会だったのに、ホントに残念だったね。地震を恨んだなあ(笑)。
── David Tとプレイしてみてどうでしたか?
タイロン:素晴らしいよね。もう、ホントにいつもギターを弾いてた。ギター抱えてポロポロっと弾き出す。でも最初の一音が凄いんだ。それだけでもう十分に彼とわかる。モータウンのアルバムにはかなり多く参加してる、という話はよく言われてるよね。クレジットがないからわからないんだけど、本人は結構覚えてるもんでね。ジャクソン5の「I Want You Back」とか、ポロポロっと突然弾きだすわけですよ。それも完璧にクリアにね。何度も何度も演ったのかもしれないし、体が覚えてるんだろうね。ピッキングのタッチはかなり弱めだったなあ。
── かなり繊細な感じなんでしょうかね?
タイロン:そうだね。弱い、というより優しいタッチなんだよね。微妙に音の表情をコントロールしてるというか。緩急というか強弱がすごく感じられる音なんだよね。あとリズムの取り方も特徴的だった。
── リズムの取り方、ですか。
タイロン:例えば、足で「ワン、ツー、スリー」ってリズムをとるとき、踏み降ろすときじゃなくて、振り上げる瞬間を「ワン」と感じながらリズムをとってるんだよね。ダウンではなくてアップの瞬間をリズムの「頭」として感じる、というか。特徴的というよりも、これが彼らの普通のカウントだと思った。根本的にリズムの捉え方が異なっている、というかね。
── 面白いエピソードなどありましたか?
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タイロン橋本
『Key To Your Heart』
(1994)
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タイロン:昔の話はたくさん聞いたよ。『Key To Your Heart』でいっしょに仕事できて、その後も、何度か会う機会もできて。呑みながらいろんな話ができた。ジョー・コッカーの話は面白かったなあ。英国王室主催の催し物に伴うガラ・コンサートの出演依頼を受けたジョー・コッカーが、わざわざアメリカから超一流のミュージシャンを呼んできてリハーサルを1週間して当日にのぞむはずだったと。王室主催の催し物に出演することは大変な名誉な事なんだよね。おそらくジョー・コッカーのマネージャーも最高のステージにしようと考えたんでしょう。ところが、そのリハーサルにジョー・コッカー本人が一度も来ない。結局、なんと本番にも来なかったらしくて(笑)。もちろん、バックを務めるミュージシャンの1週間分の拘束料そして本番のギャラは当然支払われたんだよ。ジョー・コッカーのマネージャーにとっては悪夢の出来事だよね(笑)。というのも、70年代の当時、ジョー・コッカーは、もうそのときはクスリにやられてて、どうにもならなかったらしいんだよね。まあ彼に限らず、そういうことは結構頻繁にあったらしいけどね。David Tは「休暇のようなものだった」って笑って話してたけどね。あと、ジミヘンの話もあった。David Tは、リトル・リチャードのバックバンドで、ジミヘンと共演したことがある仲なんだよね。で、ある日、突然ジミから電話がかかってきたんだって。でも、そのときジミはもう体ボロボロの状態だったらしく、何言ってんだかわからないようなどうしようもない状況だったと。ジミが死ぬ直前の出来事だったらしいんだけどね。
── ジミもDavid Tも同じチェロキーインディアンの血をひいてますよね。
タイロン:そう。特にジミは初めて白人に対して「受けいれられた」黒人ギタリストだと言ってもいいよね。昔は黒人ギタリストは白人向けのいわゆるポップスやロックのようなジャンルでは、絶対にリードギターを弾かせてもらえなかったようだし。「ポップス=白人の聴く音楽」だから。そんな場に黒人がリードを弾くととんでもないことになる、みたいな。今はもちろんそんなことは無いし、ミュージシャン同士では言ってみれば人種差別的な関係ばかりではなかったと思うけど、おそらくリスナーに対しての配慮というかね。そういう部分のどうしようもないもの、というのがまだまだ60年代には残ってたんだろうね。逆に、そんな不幸があったからこそ、David Tのようなバッキングに徹するギターの奏法や文化というのが育っていったのかもしれない。皮肉な話だけどね。
── そういう環境がプレイを確立させていった、と?
タイロン:例えば、バッキングギター、特に黒人の人はリードギターってのをあまり弾きたがらない、というか弾かない、みたいな傾向はあったかもしれないね。あくまでも自らが前面に出ないってことにおいてだけどね。前面に出なくても好きなようにプレイできる、というか。なぜかというとバッキングやっててもただ同じコード繰り返し弾くだけじゃなくて「遊び」の部分を多くフィーチャーできるスタイルなんだよね。人さし指一本でこういうふうに押さえて(※ここでタイロンさん、ギターを抱えて3フレット目をセーハする)これだけでコード感を表現する。こうすることで、他の指は自由に使えるから「遊ぶ」ことができる。だから自然に11thなんかのコード感が出せるようになったかもしれないし、コードを弾きながらフレーズも奏でるというスタイルができていったんだろうね。
── 実際に会ったDavid Tはどんな人でしたか?
タイロン:物静かな人だったね。いつもダブルのスーツをバシッとキメててね。昔のアルバムジャケットとか見ると結構ファンキーでしょ? そのイメージとは随分違う印象だった。当然、年齢的な落ち着きもあるんだろうけど。彼はホントに紳士的でね。絶対に人のことを悪く言わないし愚痴もこぼさない。本当にそれはそうなんだよ。もちろん仕事としてやってる部分もあるから、プロとしての意識の高さ、みたいなこともあるんだろうけど、本来持ってる「質」というのかな。それが接してたらわかるよね。
── 人間的にも素晴らしい、と。
タイロン:あるミュージシャンとの仕事で、かなり疲れたことがあったらしいんだよね。聞くとどうやらリハーサルに時間がかかったようで。例えば、彼はある部分を弾くのに、2テイクもあればバシッと決めれるわけ。ところが、他のパートがなかなかキメられない。一つの部分をリハーサルするのになんやかんやで8時間くらい時間をかけると。それをさらに10日間くらいやるっていう。でも彼は決して愚痴をこぼさない。「不思議なリハーサルなんだよなー」とか言ってさ。言い方がマイルドなんだよね(笑)。
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