Something for T. #11



デイヴィッド・Tと関わりのある様々な方にお話を聞くこのコーナー。11回目は音楽プロデューサーの切学さんです。10回目にご登場いただいた山下憂さんのアルバム『Gloomy』や、アンリ菅野さんのアルバムでデイヴィッド・T・ウォーカーとともに制作陣として関わった経緯の持ち主の切さん。制作現場の話やご自身の音楽観まで多くの話を伺いました。ご意見・ご感想、並びに切さんへのお便りなどございましたら、 管理人ウエヤマ までぜひぜひお送りください!

【前編】




── デイヴィッド・Tとの出会いについてお聞かせいただけますか。

切学さん(以下、切):20年くらい前なので記憶も薄れちゃってるんですけどね。話は僕が学生の頃に遡るんです。昔から音楽が大好きだったもんで、レコード屋でアルバイトしてたんですね。最初は特許庁の地下にあるレコード店で。その店は今で言う生協のような店だったのでレコードが2割引で買えるっていう店でね。

── そこでいろんな音楽を聴くと。

切:17歳くらいだったですかね。その後、もう少し音楽的に知識を身につけたいという欲求もあって、新宿のディスクユニオンに転職したんです。当時は、ストーンズのコレクターとして世界的に有名な中野さんという方が店長でした。

── あの有名な。

切:そうです。で、店では僕はジャズ担当で。その後、WAVEっていうレコードチェーン店で社員として働きだしたんです。その頃はまだWAVEという名称ではなくて、西武百貨店が出資してたのでディスクボート西武っていう名前でした。当時はフロア面積が日本で一番大きなレコード店だったんじゃないかな。で、僕はそこでロックとかジャズの売り場を担当してたんです。

── なるほど。

切:池袋の西武百貨店内にお店はあったんですけど、売り場にですね、ライブハウスがあったんですね。普段は食事なんかもできるような場所だったんですけど、そこでたまに歌っていたのが山下憂ってアーティストだったんです。

── 山下さんとそこで知り合うと。

切:そうなんです。頻繁に顔を見るようになったので、そのうち自然とお互い話をするようになって。

── そこから交流が始まって。

切:いい歌うたってたんですよ憂さんは(=山下憂さん)。ギター一本の弾き語りでフォーク系の歌を演ってましたね。人の心を打つ歌をいっぱい歌ってて。僕はその頃は洋楽ばっかり聴いていたので、フォークソングとかってあまり興味がなかったんですね。でも憂さんの影響で、吉田拓郎とかボブ・ディランを聴いたりして。逆に僕は憂さんにこんなのあるんだよって教えてあげたりして。お互い刺激しあっていた感じでしたね。

── なるほど。

切:WAVEが六本木に新しく店舗を出すということになったとき、その立ち上げプロジェクトのメンバーになったんです。ちょうどその頃、憂さんがギタリストの松原正樹さんの事務所で働くという話を聞いたので、その事務所に遊びに行ったんですね。そこで松原さんともいろんな音楽の話をするようになって。そのうち、売る側じゃなくて作る側になってみない?というようなことを松原さんに言われましてね。で、松原さんの紹介でインスペクターの仕事を始めたという、そんな背景がありまして。

── インスペクターってのはどんな仕事なんですか?

切:いわゆるインペク屋というやつでね。国内のレコーディングのコーディネートの仕事で。スタジオを押さえたり、ミュージシャンをブッキングしたりする仕事なんですよ。当時、例の小田ちゃん(※小田充=デイヴィッド・Tの80年代のソロアルバムのプロデューサー)が楽器屋をやってましてね。楽器屋といっても楽器を売ってるお店ではなくて、スタジオに楽器を貸すような仕事です。そんなわけで、僕も仕事柄その辺りの人とつきあうようになって、小田ちゃんとも知り合うことになったんです。

── なるほど。

切:小田ちゃんといろいろ話をしてるうちに盛り上がっちゃってね。僕も小田ちゃんもソウルミュージックが大好きでしたから。で、小田ちゃんはその頃「デイヴィッド・Tと友達になったんだー」なんて言ってて。へー、そりゃ凄いじゃん、みたいなやりとりをしてて。いろいろ話すと、小田ちゃんはデイヴィッドのソロアルバムを作りたいってずっと言ってたんです。

── 山下憂さんも当時の小田さんのことをそう話されてました。

切:当時、僕もまだ業界にそんなにコネも伝手も無かったんですが、たまたま知り合いに日本フィリップスというレコード会社の方がいたので、デイヴィッド・Tの話をちょっとしてみたんです。そしたらソロアルバムではなくてプロデュースワークのような形で関わるのはどうかって話になって。で、アンリ菅野さんのアルバム制作の話につながっていったんです。その頃、僕はインスペクターの仕事を辞めて、憂さんと会社を起こしたんですね。

── その会社の最初の仕事がアンリ菅野さんのアルバム制作の仕事だったと。

切:そうですね。最初の仕事というわけではありませんが、インスペクターの経験があったので、音楽ってこうやって作っていくのかという現場での仕事というのは全部知ることができたんですね。音楽制作の土台はできていたと思います。で、アンリさんのアルバム作るってときに、デイヴィッドと小田ちゃんがプロデュース役だったんですが、僕も制作面でサポートすることになって。スタジオのブッキングとか経費的な処理とか、そういうことをまとめて僕がやってたんですよ。

アンリ菅野
『Sunshine Dream』
(1986)

アンリ菅野
『My Funny Valentine』
(1986)

David T. Walkerがプレーヤーとしてのみならずプロデュース、アレンジワークもクレジットされる数少ないアルバムがこの故・アンリ菅野さんの2枚。切氏も制作面で大きく関わっている。

── なるほど。

切:この『Sunshine Dream』ってアルバムは予算が少なくてね(笑)。マネージャーも同行せずにアンリさんはロスに来てくれたり。それこそ一泊20ドルくらいのモーテルを泊まり歩いてもらったりしてね。

── 苦労があるわけですね。

切:僕も海外でレコーディングするのは初めてだったんですが、特に英語を喋れるというわけでもなかったんです。蒼々たるメンバーが参加するってんで、一人通訳の人を雇って連れていったんですよね。ところが、その通訳の方もあまり音楽に精通してるわけでもなかったということもあって、最後のほうは通訳なしのフィーリングでコミュニケーションがとれるようになってたんです。やっぱり言葉って、どれだけ喋れるかってことではなくて、何を喋るかによるなってそのとき思いましたよね。

── 参加メンバーは誰が決めたんですか?

切:最初は小田ちゃんとデイヴィッドがある程度リストアップしてくれて。でも、あまりソウルフルなメンバーではないほうが良いだろうってことになって、ドラマーにしても、最初はジェイムズ・ギャドソンとかの名前も挙がってたんですけど、そうじゃなくてレオン・ンドゥグ・チャンスラーにお願いしたり、あと、ヒューバート・ロウズを呼んだのもそんな経緯があったと思います。どちらかというとジャズっぽい感じのメンバーというか。

── ふむふむ。

切:デイヴィッドもこの頃はまだ日本人アーティストとそれほど多く仕事をしたことがなかったんですけど「日本人とぜひやってみたい」って意欲があったりもして。

── アンリ菅野さんのアルバムは同じ年に『Sunshine Dream』と『My Funny Valentine』の2枚リリースされてますよね。これは時期的には同じ頃に録音されたんですか?

切:そうです。せっかくだから、録音日程をちょっと延ばして、ジャズのカヴァーを録音してみようかって話になりましてね。なので、そのときに録音した音源を結果、2枚にわけてリリースしようと。ジャズのカヴァーは『My Funny Valentine』として一枚のアルバムにまとめたんです。

── 『My Funny Valentine』の選曲はどうやって決めたんですか?

切:レコード会社の意向もありましたが、ほとんどはアンリさんのアイデアとリクエストでしたね。スタンダードナンバーが多かったですから、メンバーもすぐに対応できて。

── このくらいのメンバーだと、スタンダードナンバーくらいだったら、すぐに演れるって感じなんですね。

切:日本のレコーディングだと、だいたいキチッとした譜面があってね。写譜屋さんってのがいて、アレンジャーが殴り書きで書いたような譜面を、リズム譜とパート譜にわけてきれいに書き直してくれるんです。で、出来上がった譜面を僕がきちんと配って譜面台に乗せて、みたいな準備をやるわけです。ところが向こうは譜面っていってもコード譜くらいしか書いてないんですよ。それでもう、いきなり始めちゃうんですよ。ちょっとびっくりしましたね。

── KIRIさんの仕事というのは具体的にはどういった内容のものだったんですか?

切:『My Funny Valentine』では僕はプロデュースって立場ではなくてレコーディングディレクターのような立場で関わってました。向こうでは日本と違ってレコーディングディレクターっていうきちんとした肩書きの仕事って、あまりないんですよ。ほとんどプロデューサーがその役割を担うんですね。このときはデイヴィッドと小田ちゃん、この二人がプロデューサー的なスタンスでやってて。一方で、レコード会社からのいろんな要求とかあるわけで、僕はその間に入って、仲介のような立場でいろんなジャッジをしていくというような感じでした。『Sunshine Dream』とは違って、ちょっと一歩ひいた感じの関わり方というか。ちょっと冷静な立場というか。そんな感じでした。

── 小田さんはその後、デイヴィッド・Tのソロアルバムをプロデュースしていくことになるんですよね。

切:そうですね。小田ちゃんはその頃もやっぱりデイヴィッドのソロアルバムを作りたいとずっと言ってたんです。で、87年に『Y-ENCE』というアルバムを作ることになるんです。アルファレコードからのリリースだったんですけど、僕と憂さんも、アルファレコードとの橋渡し的なことで少し関わってました。でも、サウンドプロダクションには関わってなくて、あれはもう小田ちゃんが全面的にプロデュースしたアルバムです。

── 山下さんの『Gloomy』録音にはどのようにつながっていたんでしょうか?

切:アンリさんの『Sunshine Dream』を作ってるときに、デイヴィッドや小田ちゃんに、憂さんのデモテープを聴かせたんですね。憂さんとデイヴィッドがいっしょに演るって方向も面白いんじゃない?って話になったんです。でも、正直言うと、当時は憂さんの音楽とデイヴィッドの音ってのが、僕の中でイコールにならなくて。プロデューサーの僕としては「どうしようかな」と悩んでいたところもあったんです。

── なるほど。

切:でも、僕も憂さんも、当時はAORが大好きで。リオン・ウェアの『Leon Ware』ってアルバムに「Words Of Love」っていう曲があるんですけどね。サウンド的には黒人も白人もなくて、非常にポップでタイトでミディアムなテンポで、後ろではデイヴィッドのギターが鳴ってギャドソンがドラム叩いてるっていう。僕の中では、そういったイメージの曲だったら憂さんとも合うんじゃないかなって思ったんですね。じゃ、そういう方向でなら、ってことで、よし、やったるか!てな感じで始まったのが『Gloomy』のセッションでした。

── メンバーもすごく豪華ですよね。

山下憂
『Gloomy』
(1988)
切:ホントにトップクラスのメンバーが参加してくれて。中でもデイヴィッド・Tはランク的にもダントツでね。向こうはユニオンがハッキリしてるので、トリプル、ダブル、シングルってランクがあるんですよ。もちろんデイヴィッドはトリプルです。当時、トリプルってのはデイヴィッド以外だとラリー・カールトン、リー・リトナーとか、そのくらいですよ。スティーヴ・ルカサーでもダブルでしたから。もう、格が違うんですよ。

── 実際に演ってみてどうでしたか?

切:出来上がった音については、憂さんを昔から知ってる人からは、いろんなこと言われましたね(笑)。特に、憂さんが昔つくって溜めていた曲もありましたから、やっぱり憂さんの個性というかイメージとのギャップがあったところもあったようでね。ましてや、憂さんの昔からのファン層ってのはデイヴィッド・Tのことも知らないって人も多かったですしね。なので、正直、面食らった部分があったと思います。憂さんの声の感じとか、曲の雰囲気とかって、どちらかというと日本人独特の陰な部分があって。LAだとどうしてもカラッとしたイメージがあって、憂さんの湿り気のある感じとは違うって部分があって。

── ふむふむ。

切:憂さんの持ってる湿り気のある雰囲気と、LAのカラッとした感じ。うーん、さあどうしようか、って感じで、制作段階ではいろいろ考えました。でも、デイヴィッドも当時AOR的な音で何か演りたいって言っててすごく乗り気でね。やる気十分だったんですよね。僕もちょっと意外な感じではあったんです。でも本人がやる気だから、よし、じゃあやるか!って感じで。結構、デイヴィッドにはいろんなリクエストをしましたね。相当に無理を言っていろんなお願いしたり。

── それは山下さんとデイヴィッドの音楽性を結びつけようとするアイデアを?

切:でも、結局、というか、どうやってもデイヴィッドはデイヴィッドの音なんですよ。ホント、偉大なるワンパターンっていうか(笑)。もちろんいい意味でですけど、何やってもやっぱりデイヴィッドなわけで(笑)。そんな中でも、まあ、遊び心というか、面白いリクエストとか出したりもしましたけどね。

── 例えば?

切:例えば、アンリさんの『Sunshine Dream』の中に「Love Is In The Air」って曲があるんですけど、この曲のバックのギターを、僕の大好きなバリー・ホワイトの「愛のテーマ」のフレーズを使って演って、ってお願いしたりとか(笑)。憂さんの「東京レイニーナイト」って曲で、サビの部分に、それっぽいフレーズで弾いてくれとか。意識的には「ポップなデイヴィッド・Tが欲しいんだ」というようなお願いはしました。

── 確かにバリー・ホワイト風のフレーズがでてきますね。

Love Unlimited Orchestra
『Rhapsody In White』
(1974)
「Love Theme(愛のテーマ)」「Rhapsody In White」を収録したバリー・ホワイトサウンドの真髄が堪能できる名盤
切:昔からバリー・ホワイトが大好きでねー。ある意味、僕のフェイバリットプロデューサーなんですよ。バリー・ホワイトのソロアルバムももちろん素敵ですけど、あのラヴ・アンリミテッド・オーケストラでのインストアルバムなんかも最高ですよ。デイヴィッドはもちろん、ウィルトン・フェルダー、エド・グリーン。あの辺りがカッコいい仕事やってるじゃないですか。世間的に言うとイージーリスニングみたいなジャンルで括られることもありますけど、実はすごくソウルフルで。ああいう音楽がすごく好きでね。今でもしょっちゅう聴いてますよ。

── 今だとああいった構成の発想も誰も出来ないでしょうからね。

切:一度、デイヴィッドに聞いたことがあるんですけど、あのバリー・ホワイトのセッションってギタリストが4人くらいいたらしいですよね。デイヴィッド・T、ディーン・パークス、ワー・ワー・ワトソン、レイ・パーカー・Jr。そこにパーカッションやドラムがいて、40人くらいのオーケストラでしょ? あんな豪華なセッションなんて今だと出来ませんよホント。あんなのが出来たら夢ですよ。

── いや、ホントですね。

切:かといって、バリー・ホワイトのサウンドってとても洗練されていてデイヴィッド・Tのギターの使い方も、土着的ではなくて都会的なんですよね。フレージングのリピートをうまく使ってたし、ああいうデイヴィッド・Tも大好きなんですよね。

── 確かに。デイヴィッドはあまり繰り返しのフレーズは使わないんですけど 「愛のテーマ」はかなり同じフレーズをリピートしてますよね。

切:あのフレーズはバリー・ホワイトの注文だったそうですよ。デイヴィッドとはかなりバリー・ホワイト談義に花が咲きましたからね(笑)。なにせ、僕が最初に聴いたデイヴィッドのギターってのがバリー・ホワイトの「Rhapsody In White」でしたから。昔、ウィークエンダーっていうテレビ番組があって、そこで番組のテーマ曲ってことで使われていたんですよ。そのときは知らなかったんですけど、後で調べたらデイヴィッド・Tがギターだってことがわかって。それからいろんなソウルのアルバムを聴いていくうちに、あ、ここにも入ってる、ってなことでデイヴィッド・Tという存在を知っていくわけです。インパクトありましたよね。

── なるほど。

切:当時はとにかく山下憂ってアーティストを世に出すんだっていう想いがもの凄く強かったですから。そのパワーたるや凄いものがありました。やっぱり若かったっていうのもあるし、今だととてもあの当時のエネルギーは出せないと思いますし。食事も制限したりね。世に出るまではお米をたべないぞ!ってなことでご飯を絶ったりね(笑)。一音楽ファンとして、山下憂の作る音楽が世に埋もれちゃいけないっていう想いがありましたからね。





── 山下憂さんとも話したんですが、『Gloomy』の「オキナワグラス」って曲のデイヴィッド・Tはいいソロを弾いてますよね。

切:そうなんですよね。「オキナワグラス」はホントにいろんなエピソードがありましてね。もともとあの曲は憂さんが以前お世話になっていた松原正樹さんといっしょにデモテープを作ってたんですよ。

── そうなんですか。

切:そのデモがとってもいい出来で。日本の歌謡曲を思わせる松原さんの泣きのギターがあるっていうね。松原さんといえば、当時から引っ張りだこのギタリストで。松山千春さんの「長い夜」とかが有名ですが。そういった素晴らしいギターを弾いてくれたデモテープが既にあったんですね。なので、この曲をデイヴィッドたちのメンバーで演るってことになったとき、僕のイメージではギターは白人っぽい雰囲気でってことで、どちらかというと松原さんのあのギターのイメージをそのまま継承するような感じが一番しっくりくると考えてたんです。ですから、この曲に関してはデイヴィッドではないギタリスト、例えば、ディーン・パークスとかスティーヴ・ルカサーとか、あの辺りのギタリストに弾いてもらおうとずっと思ってたんですね。

── なるほど。

切:『Gloomy』ってアルバムは完全に自費制作なんです。すべて憂さんや僕らで費用をかき集めて制作したっていう。なので、レコーディング予算もギリギリのところでやってたんです。今にして思えばよくやったなって(笑)。よくみんなあんな低予算の中、参加して演奏してくれたなっていうね。で、「オキナワグラス」のギターは僕の中ではデイヴィッドではない別のギタリストでと最初は考えていたんです。ところがレコーディングも最終段階に入ってきて予算的にも難しくなってきたんです。うーん、どうしようか、と。それこそ二日くらい寝ずにね、この状況を打開するにはどうすればいいかと考えまして。

── ふむふむ。

切:デイヴィッドたちのパートはもう既に録音が完了してたんですね。もう一度日本に帰って予算を作ってっていうことも難しいから、なんとか方法を考えようと。元々、「オキナワグラス」は歌謡曲っぽいというか演歌っぽいっていうか、そんなイメージの曲でしたから、じゃ、“ブラック演歌”みたいな感じはどうだろうか、と。憂さんともそういった話をしてですね。それならデイヴィッドにもう一度頼んでみようかと。

── なるほど。

切:僕の中でデイヴィッドのギターというのは、フリーに歌に絡み付いてくるギター、という印象が強かったんですね。でも、そういうギターではなく、一つのフレーズを作ってそれをバックで美しく奏でてもらいたいっていうふうにその時思ったんですよ。ですけど、イントロとかソロをメロディアスなものをしてしまうと、ホントに演歌になっちゃうんで、そうじゃないようにもしたかった。なので、イントロとソロは、ホントに真っ黒、ブラックフィーリング全開のギターをデイヴィッドにお願いしたんですよ。その意図とニュアンスを伝えるのに、スタジオでもホテルでも、とにかく拙い英語でしたけど、なんとかわかってらおうと話をしたんですね。

── なるほど。

切:「オキナワグラス」のAメロとBメロ部分で、非常にきれいなバッキングを考えてくれて。そのギターを聴いたときにホント涙でてきてね(笑)。うわぁ〜美しいなあって。デイヴィッドすげえな!って。こういうアプローチでくるか、って感じでね。

── まさに起死回生の。

切:そういう意味ではこの曲は、希望してないカタチでデイヴィッドにお願いすることになってしまったので、正直どうかな?って部分もあったんですが、結果的には凄いのができてしまったと。カラパナのケンジも「デイヴィッドのギター、色っぽいよなあ」って。

── そうですね。確かに色っぽいって感じが相応しいですね。

切:イントロもデイヴィッドにしては珍しいスラップですよ。CDに収められた音だけではわかり辛いんですけど、実際には凄い弾き方やってるんですよ。その姿を見たときに鳥肌たっちゃって。その後、ソロパートを録音するんですけど、ちょうどスタジオのコンソールで僕も憂さんもデイヴィッドのプレイを見てたんですよ。デイヴィッドの背中が見えてるような感じだったんですけど、よく見たら、うしろ姿のデイヴィッドのお尻の筋肉がピクピク動くんですよ(笑)。もうノリノリでね。

── (笑)。

切:目を閉じてぐわぁ〜って体を揺らしながら凄い迫力で弾くわけです。デイヴィッドって普段はわりとポロポロと優しい感じでフレーズ弾くことが多いんですけど、このときは違ったんですね。弦もバチバチ弾くし、全身で弾いてるような感じというかね。エンジニアのピーターってやつもそのデイヴィッドのソロが終わったとき「It's Cool !!」って。もうため息つく感じで。そのワンテイクで決まりですよ。このオッサン何者?みたいな(笑)。

── ワンテイクってところが凄いですねー。

切:自分で作ってて言うのもなんですけど、デイヴィッドのギターを語る上で、この「オキナワグラス」は外せない一曲だと思います。デイヴィッドも気合い入ってたし、ホントにいい仕事してくれましたよね。



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