Something for T. #06



David Tとかかわりのある様々な方にお話を聞くこのコーナー。第6回目にご登場いただくのは、東京・下北沢の中古レコード店「フラッシュ・ディスク・ランチ」の店主椿正雄さんです。レコード店経営という本業のかたわら、93年から97年の間『レコード・コレクターズ』誌に伝説の連載「ブラックミュージック裏街道」を執筆。94年にはバンド・オブ・プレジャー結成前夜ともいえるメンバーでのデイヴィッド・T・ウォーカーのライブを主催されたこともある方です。今回は、David Tのライブの話、そして椿さんの音楽観など、さまざまなお話をうかがうことができました。ぜひぜひご一読ください。そして、ご意見・ご感想、並びに椿さんへのお便りなどございましたら、 管理人ウエヤマ までぜひぜひお送りください!

【前編】

 取材当日、「フラッシュ・ディスク・ランチ」に伺うと、「ちょっと面白い人を待たせてるんですよ」と椿さん。近くの呑み屋に歩いて行くと、バンド・オブ・プレジャーや数々のミュージシャンを日本に招聘するチョコレート・クリームの木下茂さんがいらっしゃっていた。「バンド・オブ・プレジャー最初のライブもチョコレート・クリームが企画したんだよ」。そんなこんなで、木下さんを交え話はボチボチと始まり、あちこちに飛び火しながらどんどん広がっていったのでした。






椿正雄さん(以下、椿):チョコレート・クリームで最初にデイヴィッドがらみのライブって、汐留のPITが最初だっけ?

木下茂さん(以下、木下):そうね。あれが最初だったかな。その頃はまだバンド・オブ・プレジャーっていうバンド名じゃなかったよね。

椿:ジェイムズ・ギャドソン、山岸潤史にデイヴィッド、ボビー・ワトソン、マイケル・ワイコフ、大野えりっていうメンバーでのライブだったよね。

── 「TOKYO SOUL VOLCANO」というイベントですね。

椿:その後、同じメンバーで2回目のライブが予定されてたんだけど、ある日、そのライブが予算的に合わないから見送りになるという話を伝え聞いたんだよね。で、ちょうどその頃、うちの店(=フラッシュ・ディスク・ランチ)が開店何周年かだかだったわけ。だったらちょうどいいからってことで、うちの店の冠をつけて、宣伝も手伝うからぜひやりましょうよってことになって。すっげぇーちゃっちぃコピーのポスターとチラシを作ったんですよ。それが実質2回目のバンプレ関連のライブで。場所は六本木ピットイン。このときはじめてバンド・オブ・プレジャーという名前が世に出たんじゃないかな。

── それはもう正式メンバーでのライブだったんですか。

1990年12月、六本木PIT INNにて椿さんが主催したBand Of Pleasureライブ時のTシャツ。メンバー5人の名前が記されている。

椿:当初はマイケル・ワイコフやボビー・ワトソンも参加する予定だったらしいよ。でもマイケルは都合が悪くて来れなくて、で、ボビーも結構その頃他の仕事が忙しくて。で、最終的にキーボードは続木さんに、ベースは清水さんに替わったって話を聞いたけどね。だから汐留PITでの最初のライブはボビーがベースだったんだよね。

木下:そうだよね。ピットインはホント満員だったよね。

椿:このシゲちゃん(=木下さん)はさ、それこそもう凄い数のアーティストを呼んでライブをやってるからね。もろ現場の人ですよ。

木下:ボビー・ワトソンといえば、ルーファスが再結成するらしいね。チャカ・カーン抜きだという噂だけど。

椿:チャカ・カーンといえば、ライブイン82っていうハコが渋谷にあったんですよ。これが画期的なハコでね。そこのコケラ落としがチャカ・カーンだったのよ。で、何が画期的だったかというと、デカいハコでPAが常設であって、アーティストが週替わりで出演するっていう向こうの大きいナイトクラブのスタイルを取り入れたんだよね。その頃の日本ではまだあまりないスタイルで。で、コケラ落としがチャカで、その次に演ったデカいのがファット・バック・バンドだったのよ。ちょうどオレが24くらいの頃、そうだ、店を開いたくらいの頃だったかな。とにかくチャカもファット・バックも3回づつくらい観に行ったけど、面白かったのよ。あとBTエキスプレスとかねー。

── BTエキスプレスって来日してたんですね。

木下:もう、たっぷり来日してましたよ。しばーらく滞在してたなあ。

椿:それ以外にいわゆるファンクバンドとかってどこでみれるかっていうと赤坂にあったムゲンとか。で、そこは1ヶ月間ハコバンなのよ。ファンクバンドってあまりヒット曲がないでしょ。だから自分たちの曲じゃなくて他のアーティストの曲なんかも平気で演奏しちゃったりするわけ。当時流行ってたクール&ザ・ギャングの「Ladies Night」とか「Celebration」とか、あとリック・ジェームズとか、そういう曲ばっか演るのよ。サンとかコン・ファンク・シャンとか、立派なファンクバンドでさえそうなのよ。まあ、それでもコン・ファンク・シャンは結構自分らの曲を演ってたけどね。そういったバンドの招聘を担当していたのがシゲちゃんなんだよね。

木下:ま、ハコバンだからね。

椿:チャカ・カーンのチケットを青山の事務所に買いにいったもんオレ(笑)。で、そのとき事務所入った入口の横の壁にジャグボックスのアンプとギターが写ったデイヴィッドTのポスターが貼ってあったのよ。

木下:そうだったっけ?

椿:そうなんだよ。で、そのポスターの写真を、バンド・オブ・プレジャーの六本木ピットインのライブのチラシに使ったのよ。で、最初使おうと思ったんだけど、一応バンド・オブ・プレジャーは「バンド」なんで、デイヴィッドの顔だけ出すってわけにはいかないってことになって、アンプとギターだけが写ってるようなポスターを作ったわけ。それでもやっぱりバンドなんだからこれはまずいんじゃないかって、そのときシゲちゃんに言われたんだよね。でも、オレとしてはデイヴィッドTの名前をださないと、というかデイヴィッドのライブだっていうイメージにしたほうが客を呼べるっていう感じはあったよね。まだバンド・オブ・プレジャー結成前夜的なときだったからね。

木下:当時、デイヴィッドが来日したら必ず泊まるホテルがあってね。新宿の超高層ビル街にあるホテルなんだけど。お気に入りの部屋があって。角部屋でさ。

椿:デイヴィッドは静かなところが好きなのよ。だから場所的にもそういうところを好んでたんだけど、例えばギャドソンなんかはまた違ってて六本木なのよ。もうど真ん中。なんかあのワサワサしたところというか、そういうところが好きみたいね。ホテルから一歩出るとそこはネオン街っていう。もともとワルだからさ(笑)。危険な香りがするところが妙に落ち着くタイプっていうかね。

木下:で、ちょうどそのバンプレ演ってる流れの中で、ギャドソンだけ残って六本木で遊んでたときに、あの「六本木スワンプ・バンド」が出来たのよ。

── 六本木スワンプ・バンドって、播東和彦さんのあのバンド?

椿:そうそう。播東和彦っていうボーカルに、ギター山岸、キーボード続木、ベース清水っていうまさにバンプレ状態のメンバーなんだけど。なにかの流れというか、そういうメンバーで結成されたんだよね。で、このメンバーでミーターズとか演るのよ。

── へえー。

椿:この六本木スワンプ・バンドで、オレが凄いと思ったことがあって。例えば、ミーターズの「People Say」とか演るわけ。で、最初にこのバンドでそういった曲を演ったときに、ギャドソンは今一つ自分のプレイに納得してなかったのよ。話を聞くと、どうやらギャドソンは今までそういうミーターズのようなファンクを演ったことがなかったようなんだよね。演奏の出来に自分自身納得できなかったと。で、ギャドソンは次の来日時に2回目のスワンプバンドを演ったんだけど、すごく上手くなってるのよ。なんかもう全然違ってたわけ。で、本人に「どうしたの?」って聞いたら「練習した」って言うわけ。いやー、こんな大御所も練習するんだーって思ったのよ。ていうか、自分自身のプレイにあまり納得いってないという状態があって、次に来日したらまた同じバンド演るってわかってるわけだから、その前にちゃんと練習して来るっていうその意識というのかね。いや、納得いかない演奏っていってもさ、当然、普通の人よりは数段高いレベルの演奏でカッコイイわけよ。でも本人としてはやっぱり納得いかなくて、で、練習して来たっていうからさ、これはさすがと思ったね。ギャドソンがミーターズのようなファンクを演ってる音源ってないと思うんだよね。そのスワンプバンド観た人だけが知ってるんだよね。

木下:やっぱ、ギャドソンはさすがだったよね。

椿:ビル・ウィザースの「Use Me」って曲があるじゃない? ドラマーに言わせると、あの曲のドラムって結構難しいみたいで、コピーしようとしてもなかなか上手く演奏できないみたいなのよね。そういえば、昔、ギャドソンとデイヴィッドとビル・ウィザースっていう組み合わせで呼んだらどう?ってオレ提案したことあったよね、シゲちゃん(笑)。どおですか、今、この組み合わせは?

木下:ビル・ウィザースは……いや、ちょっと予算的に……ね(笑)。

── やっぱりそうなんですか。

木下:いや、昔に比べて最近は外国のミュージシャンで客が入らないんだよね。それは面白い日本のミュージシャンたちがたくさんいるから、みんなそっちを観に行くっていう理由もあるし、ライブそのものに足を運ばなくなったみたいな傾向もあるし。

椿:やっぱり若い頃にライブに通っていた人たちってのが、仕事も忙しくなったり、結婚して子供ができて時間もなくなったりで、次第にそういうシーンから遠のいてるってのはあるかもしれないよね。だから、呼ぶ側もホント大変なんだよね。

木下:仮にギャラがタダだったとしてもさ、飛行機代や滞在費だけでも相当な費用がかかる。バンドメンバーが4人いて、マネージャー1人で計5名とかで、さらに急に追加でメンバーが増えて結局6名分の経費がかかって、みたいな感じでどんどん増えていくと、当然チケット代は高くなっていくわけですよ。お客さんが入ってくれれば何の問題もないけど、やっぱ採算が合わない場合も多くてさ。でも例えばアメリカなんか行って現地でセンスのいいバンドのライブとか見るとさ、「あー、こういうバンドは日本には無いよなー。日本でライブしてみんなに見せてあげたいよなー」とか思っちゃうんだよね。大変なんだけどね。

椿:みんなやっぱり生でライブみたいわけじゃん? だから、みんなが具体的に行動することって大事だよね。具体的にってのはどういうことかっていうと、例えば、ライブ行くのに、自分だけ観にいくんじゃなくて、友達5人誘って行くとかさ。一人よりも5人のほうがそのライブに貢献できるわけじゃん。

── それはその通りですね。

椿:アラン・トゥーサンなんかはどうなんですか?

木下:うーん、そうね。トゥーサンも普通にそりゃそれなりにしますよ。だから普通にアプローチしたらなかなか難しい部分もあるわけで。そういう場合は個人的に口説くんですよ。こういう状況でこういうメンバーでこんな感じのライブをぜひ演りたいんだけどどうだろうか?とか、もしくはあなたがリコメンドするミュージシャン連れて演るとしたらどうだろうか?とか、本人と直接交渉する。そういうところからちゃんと話をしていくんだよね。でも、トゥーサンの場合は息子さんがきっちりマネジメントしてたりするからね。トゥーサン本人と直接話をしてても横から「おいおい」って来るわけですよ。だからそういうところでも交渉の場面があったり。とにかくいろいろ大変なのよ。

── すべては交渉が肝だと。

木下:トゥーサンはたまーに落ち込むタイプでね。こう言っちゃなんだけど、そういうときはチャンスなのよ。「なあ、トゥーサン。仕事じゃなくてさ、オレといっしょに日本の田舎にでも旅してみないか? いいもんだよぉ」って言ったら「うん、行く行く」って(笑)。

椿:バーナード・パーディの93年の「Coolin' Groovin'」もシゲちゃんだっけ?

木下:あれは制作は別で、オレたちは招聘業務だけだったけどね。

椿:あのライブでのデイヴィッドはすごくいいよね。

── そうですよね。

椿:最高にいいよね。でも途中でルー・ドナルドソンにソロをとられちゃうんだよね。ちょうどデイヴィッドのソロが盛り上がってきて、もうワンコーラス行くぞみたいな雰囲気のところで、ルー・ドナルドソンがとぼけた顔して入ってくるのよ(笑)。さすがだよねルー・ドナルドソン。

── デイヴィッドのプレイも凄くいいですよね。

椿:あのときのバンドはデイヴィッドがいたおかげで凄くいい演奏になってたと思う。

木下:いや、デイヴィッドってホントにいい人なんだよ。これはもう人間性だと思うんだけど。

椿:デイヴィッドってアメリカのブラックなカルチャーの中にいるんだけど、そういうところを拠り所にしてないっていう感じはあるよね。あの人、インディアンの血が流れてるじゃない。ネイティブアメリカンというのかな。5年くらい前にオレがデイヴィッドにインタビューしたときに本人も言ってたけど、そういう文化を持ってるんだよね。音的にも、ネイティブアメリカンのスケールというか、日本の音楽に近いものがあるんだけど、笛の音とかね、そういうのを持ってるよね。自然とどうつきあうかとか動物とどうつきあうかみたいなところがあるんだけど、アメリカの黒人ってのはそういう文化的なところは断ち切られてるんだよね。その辺りがもっとも色濃くでてるのがニューオーリンズとかの文化だと思うんだけどね。

── デイヴィッドの弾く旋律は独特のものがありますよね。インディアンの文化ってのが大きな違い、というかデイヴィッドの根っこの部分というか。

椿:そう。で、もう一人、そのインディアンの血を引く偉大なミュージシャンがジミヘンなのよ。そういうインディアン文化みたいなものが根っこにあるかないかという意味で、ジミヘンと数あるジミヘンフォロワーと呼ばれるギタリストとの間には決定的な違いがあるわけ。

木下:デイヴィッドといっしょにいると、いわゆるアフロアメリカン的な黒人とは全く違う感覚で接してしまうのよ。むしろ白人に近い感じがするというかね。

椿:スピリチュアル系のジャズの人たちの感覚に近いかもしれないよね。スピリチュアルジャズ系の人たちってのは、「アフリカ」ってことを凄く意識してるわけ。メロウさというか。文化的な成熟度みたいなことをすごく重要に考えているようなところがあって。デイヴィッドが自分で良く言ってる自分のベストプレイで、キャノンボール・アダレイの『Happy People』ってのがあって、このアルバムなんかは完全にスピリチュアル系のジャズの世界だからね。ゲイリー・バーツとか、ストラタイーストなんかの一連の音なんかもそうだけど、やっぱりそれはそれで一つのカルチャーなんだと思うんだよね。

木下:そうね。そりゃ、ホントにホントの根っこの部分ってのはオレたちにもわからない部分が当然あるんだろうけど、でも、普通に彼と接している限りにおいては、他の黒人たちとはちょっと違うよね。いや、黒人が文化がいい悪いっていう話じゃなくてさ。明らかに違う文化の人だっていう感覚はあるよ。なんというかな、非常にクリアな感じがあるんだよねー。

椿:デイヴィッドに一番近い感じのミュージシャンってのはやっぱりオレはジミヘンだと思うけどなー。いや、オレはジミヘンとはもちろん会ったことないし知らないから何とも言えないし、デイヴィッドとジミヘンじゃ所属する業界も違ってたし比べられないのかもしれないけど、ジミヘンもどこかナイーヴなところがあるというか。あるような感じがするというか。ただ、ジミヘンの場合どこかこう、大見得切る、みたいなところもあったりしたからね。

── デイヴィッドはジミヘンとはいっしょにプレイしたことがあるって言ってますよね。

椿:リトル・リチャードのバックでプレイしてたんだよね。ジミヘンって「たった一人の人」じゃん。何かの親玉だったりする存在じゃなくてさ、何かに属してるわけでもなくて。唯一の存在っていうか。デイヴィッドも実はそうなんだよね。

木下:似ているけど両極的なところにいる二人だよね。両極的だけどどこか通じるところがあるというか。

椿:音楽的にも通じるものがあると思うなオレは。ただ、楽器が違うっていうのはあるよね。やっぱギターって、ストラトとハコもののギターって違うじゃない。音の出方が違えば当然弾き方も違うわけで。たまにストラトでジャズやる人もいるけどね。



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