Something for T. #10


【後編】



── 『Gloomy』の後、94年にジェイ・グレイドンのプロデュースでシングルをリリースされてますが。

山下:KIRIが、カラパナ復活の話をレコード会社とまとめてプロデューサーとしてアルバムを一枚作ってるんですよ。で、そのカラパナのアルバムをミックスダウンするときに、予定していたロスのスタジオが急に使えなくなってしまって、さあ困ったなとなったときに、ジェイ・グレイドンのスタジオが空いてるってことがわかって、じゃあそこを使おうって話になって。そのスタジオの2階にジェイの住まいがあるんですが、たまに1階のスタジオに降りてきたりしてる間にジェイとKIRIは仲良くなっちゃって。KIRIは物凄いジェイ・グレイドン・フリークなんですよ。そこで、ジェイに山下憂のプロデュースをする気はないかって持ちかけてくれて。じゃあまず音を聴かせてくれってことになって、で『Gloomy』と「HIDEAWAY」を聴いてもらったら「OK」ってことになったんです。

── 面白いつながりですね。

山下憂
「Ever After Love / One Love」
('94)


山下:このCDは最終的には10曲録って全米発売する予定だったんだけどね。楽曲はプロデューサーのKIRIの方から、ジェイのある作品2曲をモチーフにして新たに曲を書いてほしいって頼んだんですよ。ジェイの返事は「Easy!」(笑)。モチーフにした1曲が、ディオンヌ・ワーウィックをジェイがプロデュースした作品「For You」。それとアル・ジャロウの「Mornin'」。この大好きな2曲のフレーバーを持つ曲をリクエストしたんです。

── それが「Ever After Love」なんですね?

山下:カップリングの曲「One Love」の詞はカラパナのケンジが書いてくれて、曲の方は大胆にもジェイの曲を僕が手直ししました。だからサビの部分からは僕の書いたメロディなんですよ。グラミー賞作家でもあるジェイとの共作ですからね恐れ多かったんですけど、書き直しちゃった。最初はジェイが打ち込みでラフを進めていたんだけど打ち込みじゃなくってバンド演奏にしたいってリクエストしたらジェイが「わかった」って。それで、すぐにメンバーを集めてくれてね。

── これまた凄いメンバーですよね。

山下:ギターはTOTOのスティーヴ・ルカサー、ドラムは元グレッグ・キーン・バンドで前のシカゴのドラマーでもあるジョン・キーン。あとバーバラ・ストライザンドなんかのベースでジョン・ピアス、キーボードはジョン・ヴァン・トングレン。ギターソロはもちろんジェイ・グレイドン。スーパーバンドだよね。

── ジェイ・グレイドンのギターは凄まじいですよね。

(左から)ジェイ・グレイドン、山下憂、ケンジ・サノ
山下:ジェイがギターソロを入れるときってスタジオに人を入れず、一人で演るようなんです。スタジオの設計から機材のメンテナンス、エンジニアリングまで全部自分自身でやりますからね。完璧主義の天才。ところで、ちょうど僕が歌入れやってるときに、デヴィッド・フォスターから電話が入って。ジェイがこう応えてたの「あんまり英語はうまくない日本人が歌はちゃんと歌ってるぞ」って(笑)。

── やっぱり緊張しましたか。

山下:普段、歌入れはあまり緊張しないほうなんですけど、このときだけは生きていて一番の緊張でしたね。というのも、ジェイにプロデュースを依頼したある大物シンガーはレコーディング当日「ちゃんと練習してから来い」って帰されちゃったと、ある筋からそんな話を聴かされていたしね。ジェイは日本人の音楽には興味が無いよ、とかも聞かされてたんです。でも、書き下ろしてくれた曲を聴いて「ジェイは本気だ」って思ったんですよ。ジェイ本人も「プロモーションをちゃんとやればこの曲は全米のTOP40に入る曲だよ」って言ってたからね。それだけに、ほとんど世に出ていないというのは手前味噌だけどもったいないとは思うよね。

── へぇー。確かにドキドキだし、ジェイ・グレイドンも凄い人ですね。

山下:スタジオの録音ブースの中からコンソールを見ると目の前にジェイ・グレイドンがいるっていうその奇跡にあらためて気づいたときのプレッシャーたるやそれは凄いよ! たまたまその時はケンジがまだ来ていなくて、僕とジェイとの二人だけで始めることになったんです。完全にジェイとの1対1だから僕はもうガッチガチのお地蔵さん状態ですよ(笑)。ジェイがマイクセッティングを自らやってくれてね。テストで拾った音を聴いて「アル・ジャロウとほぼ同じ音圧だね」って言われてさ。「だからマイクもセッティングもアルと同じでいくから」って。で、一度テストレコーディングしたところで、プレイバックをコンソールの前にもどって聴いたんですよ。そしたらスピーカーから流れてきた僕の歌はノンエコー、ノンリバ−ブだったんですよ。

── ノンエコー?

レコーディング中の山下憂さん
山下:要するに全く素の状態でエコーやリバーブのかかってない状態なんですよ。「これでピッチをパーフェクトに歌わないとオレはOKを出さないよ」ってジェイに言われたんですよ。

── あー、なるほど。こわっ。

山下:で、そんな様な話は以前、ポール・マッカートニーが同じようなボーカル録りをするというのを本で読んだことがあって、それと同じ事をやれってことか?って思って。そのときに「これはもう、もし帰れって言われてもしょうがないことじゃん」ってちょっと開き直れたっていうか、吹っ切れたんですよ。そこからはスッと気分が楽になってうまく歌えたんだよね。不思議だよね、人の気持ちって。それで、2日間、2回に分けて1曲ずつ録ったんですよ。2曲目の歌入れが終わった夜、ジェイが「憂! おまえは凄く良い仕事をした、後の作業はオレに任せて、早く日本に帰れ」って。ちょうどその週に次男が生まれる予定だったものですから、ジェイも気を使ってくれてね。

── (笑)。

山下:ジェイ・グレイドンと最初のミーティングをするためにKIRIと二人でジェイの家に行ったときのことなんだけど、スタジオの隣、ロビーを隔ててガラス張りのリビングルームがあるんですね。そのガラスの向こうの庭にはドーンとプールがあって綺麗にライトアップされてるんですよ。プールのロマンティックなブルー、その先の闇の向こうに綺麗な月が出ているんです。そりゃ美しいシチュエーションなんですよ。KIRIとジェイがプロダクションについての打ち合わせ中、庭に出てその景色をずーっと見てたんです。そのとき思ったんですね。このシチュエーションでこの月を眺めながら曲を書いたらやっぱり出てくるメロディは違うよなーって(笑)。

── 環境が創作に影響すると。

山下:夢のように綺麗な風景でしたからね。同じようなことがデイヴィッドにもあるわけですよ。デイヴィッドにはデイヴィッドの日常というか美意識の世界が必ずあって。そのことって、同じギターを買って同じエフェクターを使ってみたらどうだとか、そういう問題じゃないんだと。そこにいて、そこで感じる本質的な事が重要なんだっていうことですよね。





山下:『Gloomy』のレコーディングはホテル住まいだったんだけど、並行して音映像制作、ノベルティ企画制作の仕事をやってましたから日本とロスを行ったり来たりしてました。「HIDEAWAY」の頃にはノースハリウッドのムーアパークというところにアパートを借りてましたけどね。その方が経済的だったからね。

── アーティストとしての活動と両立させるっていう意味で。

山下:そうですね。結局、また最初の話に戻るんですけど、自分たちが主導権を持って制作しないと制作軸がぶれてしまう危険性があったんですね。音楽祭で優勝したときもそうだったし、その後の仕事上でもそういうことによる制作軸のぶれを感じる事は多々ありましたから。

── なるほど。

山下:マーケットがあって、そこから逆算して作品が作られてゆくっていう手法、要するにヴァーチャルな感動をミュージックビジネス化するということですよね。その事自体は否定しないしビジネスという領域の中ではカタチとして当然あっていいんだけど。でも、その頃はあまり興味がなかったんですね。オモシロイということだけでいえば今は「そんなのも面白いかも?」という気持ちの変化はありますね。年をとったのかな?(笑)。

── ふむふむ。

山下:人はそれぞれの方法で自分を表現しますよね。八百屋さんは野菜で、魚屋さんは魚で。ビジネスマンはビジネスで。僕はなんらかの感動があれば音楽で表現しますよね。出来上がった作品を、誰かがいいなと感じてくれて、次の人にバトンタッチしてくれるような流れを作りたかったですよね。それでたくさんの方に聴いてもらう。虫が良すぎるんですけどね、アマチュアリズムを残しながらレベルの高い作品を作りたかったんです。『Gloomy』はセールス的に成功していないのでビジネス的な発言権は僕には全く無いのですが(笑)。昔から「YOU & KIRI PROJECT(山下憂と切学の制作プロジェクト)」はまるで獣道を行くようなものでしたからね。ここでも男前でしょ? 馬鹿とも言いますが(笑)。





── 現在の音楽活動は?

山下:表立っては何も活動していないに等しいですね。曲は書き続けてるけどね。いい曲いっぱいありますよ(笑)。これまで人のために曲を書くって作業はほとんどやってなかったんですね。昔、役者の村田雄浩さん本人に直接頼まれて2曲だけ書いた事があります。それだけかな? そうそう、ベースのスコット・エドワーズが僕のメロディを凄く買っていてくれて「オレがプロモーションするからアメリカのアーティストに曲を提供しないか?」って言ってくれるんですよ。で、最近は他人にも曲を書いてみたいなあって。歌のうまい人は沢山いるし、演歌の世界にも、ほんと歌のうまい人がいっぱいいますからね。だからね、ジャンルとかはどうでもいいじゃんって。もし機会があれば大人の音楽を創りたいですね。日本発のAORっていうところかな。

── それは面白いですね。

山下:僕にとって音楽っていうのは家族の次に最も大切でかけがえの無い友人であり、人生の恩人だとおもってるんです。人間って生きてるだけで結構人を傷つけてるよなって思いがあるんですけど、苦しみや悲しみ、懺悔の気持ちに押しつぶされそうになった時に、僕自身音楽に救われたことが何度もありましたからね。ミュージシャンのはしくれとしては僕の音楽を聴いてくれる人に僅かばかりでも勇気を与える事が出来たらとても幸せだし、音楽の神様に少しでも恩返しが出来るような気がするんですよ。

── なるほど。

山下:この『Gloomy』は世のほとんどの人は存在すら知らないですよね。世に出ていないに等しいです。でもどこかで僕の作品を聴いて、良かったって思ってくれる人がいればそれだけでとても嬉しいです。さっきのデイヴィッドの話ではないけど、これに関しては僕はやることはやった。今は、さて今度は何を作ろうかなって考える方が重要だし楽しいよね。『Gloomy』「HIDEAWAY」「Ever After Love」「One Love」は僕とKIRI以外は誰も想像すらしなかったと思います。当時は“頭のおかしい二人”ぐらいにしか思われてなかったですから(笑)。頭おかしいんですけどね。

── なんとなくわかる気がします。

山下:音楽の仕事って人の心に影響を与えてしまう仕事だと思うんです。人の心に影響を与えてしまうのに、自分の心が動いていないことを歌ってどうするのって。ずっとそう思ってるんですよね。すごく幼稚な考えだと思います。幼稚だとは思うんだけど、ミュージシャンってその幼稚な部分が一番大切なところなんじゃないかって思うんですよ。それは例えばデイヴィッドのプレイなんか見ててもそう思いますよ。凄く幼稚なんですよ彼らも。

── (笑)。

山下:幼稚って言い方は悪いですけど。要はピュアなんです。「わーっ、デイヴィッドもジェイもオレと一緒だ」って。「いつも幼稚にソウルフルに僕は歌ってるよ」って思いはデイヴィッドにもジェイにも伝わったんじゃないかなって思います。あんな天才達に混じってあれほどの貴重な経験ができるミュージシャンは世界にもそんなにはいません。それだけで充分に幸せ者ですよね。感謝。


(2006年5月、神奈川県・某所にて)





 僕の唄。その正体を知りたかった。

 後追いで知った『Gloomy』という一枚のアルバム。その存在自体が不思議だった。西海岸の腕利きたちによる完璧なバックトラックと、ニューミュージック的風貌に包まれた歌の世界。隆盛を極めたAOR的美学に日本特有の邦楽感覚。デイヴィッド・T・ウォーカーのプロデュースという一つのキーワードによって繋がれるその二面性は対立軸のようでもあり融和された一つのカタチのようでもあった。違和感と調和。その拮抗が頭の片隅に消えることなく存在し続けていた。

 日本的な、あるいは日本人的な世界を思いっきり注入したという全12曲。破格ともいえるメンバーと多くの出会いによって、黒と白と黄色の豊かなリレーションシップは、微妙な色合いのグレイな世界を描いた。西海岸のカラッとした空気を漂わせながらも、どこか違う曇空のような肌触りは、文字通り『Gloomy』な世界。そこには“日本人の”ではなく“山下憂の”という形容が相応しく映る。

 音楽がすべてではない、と断言できる強さ。「音楽を作るのは僕ら人間なのだから」というごく自然な感覚の中に潜む「音楽を奏でることの意味」を強烈に感じさせるチカラ。産み落とされた“憂”の世界は優しい。優しさの中から生まれる山下憂の“僕の唄”は、そう遠くない“いつか”のために、密やかに息を潜めながら今も確実に育まれているはずだ。

 ふとしたきっかけ。ふとした出会い。いつもそこにある幼稚なソウル。音楽の神様が微笑む“僕の唄”は、そんな日常からきっとうまれる。

 
(聞き手・文 ウエヤマシュウジ)





山下憂(やました・ゆう)
1955年5月7日生まれ。福井県武生市出身。1975年、フォーク・グループ「かげらふ」結成。音楽サークル「フォークフェローズ」に所属し「かげらふ」のリードヴォーカリストとして音楽活動を開始。解散後、ソロ活動を開始。同時期に松原正樹プロデュースによるコンサートを行う。松原氏の事務所でマネジメント業務を担当。1986年(株)ビーオイルを切学氏と設立。1988年、デイヴィッド・T・ウォーカーを制作陣に招いたソロデビューアルバム『Gloomy』をリリース。1994年には日本人初のジェイ・グレイドン・プロデュースによるシングル「Ever After Love」をリリース。現在に至る。


山下憂
『Gloomy』
(1998)

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『For All Time』
『Wear My Love』
『Thoughts』
Solo album 60's & 70's
Solo album 80's & 90's
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