Something for T. #09


【後編】




山岸:ギターメーカーに勤めてた小学校の同級生がいてね。そいつが今の会社辞めて新しくギターの会社作るからちょっと協力してくれって連絡が入って。その話を聞いてオレはある考えが浮かんだんよ。「デイヴィッドにバードランドやめさそう」って。

── 止める??

山岸:やめるっていうか、言うたらバードランドの代わりのギターを作ろうってことよ。で、デイヴィッドに「新しいギターをいっしょに作らへん?」って持ちかけてみたんよ。そしたら面白いなその話ってことになって。

── それがあのアーテックスのギターになるんですか。

山岸:そう。ちょうどオレもね、フルアコースティックとセミアコースティックの中間くらいの小振りのボディのギターが欲しかったんよ。言うたらバードランドよりも小振りのね。そっからあのギターが作られたんよね。

── 「D&Jモデル」と呼ばれてるギターですね。

山岸:ボディがES-335とフルアコの中間くらいの厚さでね。ホロウボディで。で、バードランドってミディアムスケールだから、デイヴィッドはオレに「それでもいいか?」って確認してきて。オレも「いいよ」ってことになって。

── 共同で開発されたギターというのも凄いですよね。

山岸:汐留のPITで演ったBand of Pleasureの最初のライブのときはまだデイヴィッドはバードランドを弾いてたかな。オレはES-335を弾いてたけど、新しいギターのプロトタイプは出来てたんよ。そこに二人の意見を反映させて完成したのが「D&Jモデル」なんよ。

── なるほど。

山岸:その「D&J」モデルで一つの完成型を見たんやけど、もう一歩踏み込んで、今度はオレとデイヴィッドそれぞれ違うギターを作ろうってことになって。で、オレはES-335タイプのFホールなしのセミアコタイプを作って。デイヴィッドは逆にフルアコを作って。ボディをまた厚くした青いサンバーストで。

── デイヴィッドがステージで使ってたのはそれですね。

山岸:そうそう。そしたらね、デイヴィッドはホンマにバードランドを使わんようになったわけよ。ま、それまでにもデイヴィッドは冗談で「このバードランドは壁に掛けて、もう使わないようにする」とか言うてたわけ。デイヴィッドも意外と頑固やから、まさかオレたちもそんなわけないやろって思ってたんやけど、新しいギター出来上がったらホントそうなってさ(笑)。ホント、そのときがバードランドを休ませるいい機会やったんかもしれへんね。






山岸:Band of Pleasureではオレもいろんな影響を受けたよ。同じギタリスト同志やからオレもデイヴィッドに対抗してしまうところもあるわけ。無駄な抵抗なんだけどさ(笑)。でもそれがオレがBand of Plesureを演ることのもう一つの目的だったのよね。だからオレはこのバンドでは一切エフェクター使わなかったしね。

── デイヴィッドが使わなかったから?

山岸:そう。同じ条件の中でということを考えて。モハメド・アリとアントニオ猪木の異種格闘技じゃないけどさ。同じ土俵で戦うていうかさ。自分の中での禁じ手を作ったわけ。歪む音を一切使わない。エフェクターを一切使ってない音で、あの小さい音で、どこまでエネルギーを出せるか。それを得たかったんやね。

── 普通は違う個性があるとそれぞれ個性を出せばいいという発想かと思うんですけどね。

山岸:違うねん。自分の個性を出そうとおもたら簡単なことなんよ。でもBand of Pleasureではオレは自分の個性を一旦棄てたんよ。

── ふむふむ。

山岸:デイヴィッドはBand of Pleasureでオレという存在がいることで、自分を出すということを知ったんじゃないかなと思う。それまでのデイヴィッドって例えばクルセイダーズのバックとかでも仁王立ちでやっぱり後ろに一歩引いてたし。それがこのバンドではまず自分から動くこともあったし。ソロのときはグググっと前に出る。前に出ても良かったわけ。今までのデイヴィッドだとあり得へんことやねん。

── あり得ないことが起こったと。

山岸:そりゃあもう凄かったよ。鬼気迫るもんがあったね。バンバン前に出てくる。凄いソロプレイ。手を振り上げてボディを叩きながら凄いフレーズをこれでもかと繰り出すわけ。そうなったらもうこっちは何やっても勝てへんわね。終いには歌い出すしさ(笑)。

── デイヴィッドは歌は苦手って言ってますよね。

山岸:なに言うてんの。歌うの好き好き、デイヴィッド(笑)。六本木のライヴハウスで演ったとき、最後のほうでオレのほうにスルスルとやって来たの。何かなー?と思ってたら近くにあるマイクで歌い出したんよ。ジュニア・パーカーの「Next Time You See Me」を。またうけるもんやから癖ついちゃってね(笑)。そういうところもデイヴィッドなんよ。面白いよー。ホント、愛すべき人ですよ。

── (笑)。

山岸:ツアー演ってるとさ、もうメンバーがメンバーだから毎日違うこと演りよるわけさ。誰がどこでどうでてくるか。戦いよね。でもそれがすごく面白かった。

── なるほど。

山岸:デイヴィッドって決められた枠組みの中できっちり仕事するということをずっとやってきた人でしょ。クルセイダーズでのプレイでもそやねん。ところがBand of Pleasureでは違った。自分が主役でさ、何やっても周りも何にも言わないし、逆にどんどん演ってって言うもんね。一応曲順とか決めてたけど途中で変わる変わる(笑)。

── 想像つきますね(笑)。

Band of Pleasure
『Live At Kirin Plaza』
(1992)
山岸:ライブで「I Can See Clearly Now」を演るときいつも楽しみだったのは、あの曲の途中でまずオレのソロがあって、キーボードのソロが続いて、その後、ドラムのブレイクがあって、その後デイヴィッドが入ってくる瞬間があるのよ。それがもう凄いのよ。デイヴィッドの入り方が尋常じゃなく凄い! これが毎回楽しみでねー。オレも自分で演奏しながらその楽しみを味わいたいから、その瞬間が早よ来い早よ来いって思いながらさ(笑)。顔はニコーっとなってるよね。

── もう……うらやましいくらいに楽しそうですね。

山岸:いっしょに演ってるオレたちがデイヴィッドやギャドソンのファンになってるからね。で、そのことはオレたちだけじゃなくて、お客さんも状況わかってるわけさ。だから一体になれるわけ。オレたちが思ってる想像以上のことを彼らは演りだしてくれたからね。まだ全部出してないなって思うわけ。持ってるもん全部だしたらホントとんでもないことになるぞ、と。自分をリリースするというかさ。それをオレは望んでたし、そうなって欲しかったよねデイヴィッドには。オレはデイヴィッドのファンやし、そういうコンセプトでやりたかったし。だからそれが“マイ・プレジャー”であり“バンド・オブ・プレジャー”ということなんよ。文字通りね。






── Band of Pleasureでの活動後、ニューオーリンズに行かれますが。

山岸:『My Pleasure』でボビー・ウォマックに2曲、素晴らしい歌を歌ってもらったんやけど、あまり話題にはならなかった。誰もそのことについて取り上げてくれなかったんよ。唯一イギリスの音楽雑誌がそのことについて触れてくれてたりさ。あとイベントとかでアメリカのミュージシャンとセッションしたりしても、続かないんよね。一回こっきりでさ。プロモーションツアー演って、それが終わったら、さあ次は誰と演ろか?みたいな。そのときのトレンドで動くみたいなさ。そういうノリがあるのよ。

── なるほど。

山岸:ある程度予算かければ向こうのミュージシャンと共演できるっていう状況はある。でもオレはそうじゃなく向こうから雇われたかったの。ホントによその国で雇われるかどうか。で、それでメシ食えるかって。それが次の目標になったのね。

── ふむふむ。

山岸:『My Pleasure』やって、Band of Pleasureやって、一つ自信になった。「オレも出来るんや」って。そう思ったら次のヴィジョンというかね、見えたというかさ。自分がどう雇われるかっていうところを考えるようになったのよ。

── で、実際に成功されてますよね。日本の他の誰もが成し得てない。これはホントに凄いことだと思うんです。山岸さんの次の目標はみんなが興味あるところだと思うんですけど。

山岸:次の目標は……。そうね、最終的にはやっぱりソロで活動することかな。

── それは今までのとは違う形でのソロ活動を?

山岸:そうね。ただ、今はまだやりたないねん。ニューオーリンズの仲間からもね「なんでソロ活動演らないの?」って言われるのよ。CDRでもいいからアルバム作れよと。でもまだその時期じゃないと思うのよ。

── それはなぜなんですか?

山岸:まあ、いろんなことがあるけどね。ビジネス的なパートナーも必要だし。とても面倒なことが多いのよ。ホントにそれをやるときは自分の中でのコンセプトというかアイデンティティがまとまったときやろな。

── では今はその途中段階だと。

山岸:そう。もちろんいろいろ考えてるよ。ニューオーリンズ行って、周囲の期待というか、オレに対して何を求めてるのか徐々にわかってきてるし。けど、そのことが自分のホントにやりたいことに繋がるかどうかまだ疑問なんよね。それをホントに自然に出来たら。自分のアイデンティティをスッと自然に出せるようになったときが次のステップなんやろうね。


(2004年10月、都内某所にて)





 ドラマティック。その運命的なキャリアに多くの人が驚嘆する。デイヴィッド・Tとの出会いがもたらした「啓示」は一人のミュージシャンの人生を大きく変えるチカラがあった。「それまでのキャリアはいらない」。この確信こそ彼自身の素直な実感であり、得たモノの大きさを物語る象徴的な言葉だ。

 誰もなし得なかったニューオーリンズでの成功は、歴史の一ページを切り開いた掛け値なしの偉業だ。透き通るほど気負いのない純度の高いパフォーマンスは、一線を超えた者だけが得られる奔放さを兼ね備える。その姿に、そしてなにより紆余曲折を経て伴った血肉と、ろ過されながら研ぎすまされていった進化の過程に共感するのだ。

 豊かな音楽的変遷は多くの出会いの歴史でもある。それが必然だったかのように思えるほど想い描く世界に着実に近付いていった行動力。いくつもの壁を軽やかに乗り越える必然は決して偶然ではない。無謀にも思える行動の裏にあるのは、明確なヴィジョンと確信的な直感力の均整のとれた同居だ。そこにある周囲を取り込む吸引力と柔軟性あふれる情熱は実にスマートでたくましい。

 山岸潤史というドラマ。本物が描く次なるシナリオを多くの人が待っている。もちろん僕もその一人だ。

 
(聞き手・文 ウエヤマシュウジ)





山岸潤史(やまぎし・じゅんし)
1953年6月6日生まれ。三重県・伊勢市出身。1972年、永井“ホトケ”隆(Vo)、塩次伸二(G)、松本照夫(Dr)らと関西屈指のブルースバンド「ウェスト・ロード・ブルース・バンド」を結成。1975年には石田長生(G)をはじめとして総勢8名の大所帯ソウルバンド「ソー・バッド・レビュー」で活動。85年には土岐英史(Sax)らと「チキン・シャック」を結成、この頃から元ルーファスのボビー・ワトソン(B)とも交流を深める。その後、ミュージカル『Mama I Want To Sing』サウンドトラック盤への参加を経て、88年にはボビー・ワトソン、ボビー・ウォマック、シュギー・オーティス、デイヴィッド・T・ウォーカーらが参加したソロアルバム『My Pleasure』をリリース。その経緯からデイヴィッド・T・ウォーカー、ジェイムズ・ギャドソン、清水興、続木徹の5人によるR&Bバンド「Band of Pleasure」を結成する。95年には活動の拠点をニューオーリンズに移し、ワイルド・マグノリアスに参加。2002年にはニューオーリンズの権威ある音楽誌オフビートが主催する音楽アワードにて「ベスト・ギタリスト・オブ・ジ・イヤー」を受賞。現在、ジャムバンド「Papa Grows Funk」や、ジョニー・ヴィダコヴィッチ、ジョージ・ポーター・ジュニアとのトリオバンド「ザ・トリオ」をはじめ多くのセッションに参加。ギタリスト、コンポーザーとして確固たる評価を得て活躍中。


Papa Grows Funk
『Shakin'』
(2003)
Papa Grows Funkオフィシャルサイト
http://www.papagrowsfunk.com/

Wild Magnoliasオフィシャルサイト
http://www.wildmagnolias.net/

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